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鶴見散策

かなり前の話。9月中旬頃、横浜に行く用事があったので、その前に鶴見付近を散策した。まず、潮田神社でお参りした。鶴見駅から歩いて15分位かな。







景行天皇四十年、日本武尊東夷征伐の航海の途中、旧西潮田村海岸近くの古杉老松の森に小祠を建て、国常立尊、豊雲野命、国狭槌命を奉斎し、征途の無事案内を祈願したと伝えられる。中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、正親町天皇の御世、永禄三年の頃、北条氏の寵臣で太田道灌の曽孫太田新六郎康資の知行の時、東潮田村の杉山社、西潮田村の御嶽社を領地神社として、社殿を改築し社頭を整備したといわれる。

正保年間に至り地頭松下孫十郎が幕府の命により、社殿を改築、寛文十年幕府社領一段四畝二十歩を寄進したという。延享元年の鳥居、寛政元年の拝殿の棟札等により当時の当時の模様を知ることができる。 明治に入り、井田方鎮座須賀社(素戔嗚尊)、小野新田鎮座稲荷社(豊受比賣尊)、向原鎮座菅原社(菅原道真公)、田方鎮座神明社(天照大御神、弥都波能賣神)を御嶽社に合祀、上居村鎮座若宮八幡社(誉田別尊)、浜端鎮座白山社(岐久理比賣)、弁天下鎮座厳島社(市杵島比賣命)を杉山社に合祀された。

大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整備・区画整理による街造りの為、大正九年東潮田村の杉山社と西潮田村の御嶽社を合併し、潮田地区の中心地点である現在地鎮座、潮田神社と改称された。

大正十二年関東大震災により拝殿倒壊、昭和二十年戦災により社殿焼失と被害を被る。
昭和五十九年現社殿造営平成元年社務所新築、同五年鳥居建立、同十八年宮神輿再興なる(神奈川県神社庁)。

  ◆

大きな建物ではあるけど比較的新しいので、余り風情などは感じられないかな。境内も広く、大きな公園が隣接していたりで、軽く遊んだりするには良さそうだ。







本殿も立派だ。






その後、總持寺へ。

總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗大本山の寺院である。1911年に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転(Wikipedia)。

説明無用、巨大過ぎて、わたくしのスマホカメラでは収集がつかないスケール。どうにか収まった最後にお参りした場所だけアップロードした。



こんな感じの階段を見かけると吸い寄せられるように上ってしまう。


途中、可愛いベンチ☆


三寶殿(さんぼうでん)に到着した。



三寶殿
總持寺の守護神は荒神様(三寶大荒神)です。總持寺三世太源宗真禅師(普蔵院開基)の成徳道風を敬慕した難陀竜王が禅師の血脈(禅師の法戒)を授けられた。そのお礼に荒神を奉納したと伝えられます。禅師は、これを受けて当本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を守護する三寶大荒神として祀られたことに由来します(公式サイト)。




途中、お稲荷さんが鎮座。



穴熊稲荷大明神が祀られています。稲荷信仰は、仏教と習合して、人々の心のよりどころであり、また狐に跨がり剣と宝珠を持つ姿で五穀豊穣をもたらし、福の神として、ひろく信仰されています(公式サイト)。



巨大な別世界空間であった。またゆっくりと隅々まで歩き回ってみたい。




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