かなり前の話。6月下旬頃、東京・戸越に鎮座する戸越八幡神社でお参りした。都営浅草線戸越駅から徒歩5,6分かな。
◆
当神社は大永6年(1526年)に行永法師という諸国を行脚していた僧が、村内の藪清水池水源地に誉田別命(応神天皇、八幡神)の神体が出現したのを見つけたので、草庵を作りまたそこに京都・石清水八幡宮から分霊を勧請して共に祀ったのが始まりであるといわれている。人々が祈願するとたちまちにかなうといわれていたので、成就庵と呼ばれた。その後文禄元年(1593年)に、近隣にある別当寺だった行慶寺の開山・念誉によって成就庵のところに八幡神社を建立してご神体を阿弥陀如来と共に祀ったといわれている。その後、元禄元年に現在地に移転された。別当は明治時代に神仏分離令により廃止された。社殿は200年ほど前に建立されたもので、安政2年(1855年)に改築されたものである。現在でも地元の人々から信仰を得ている。
戸越の名のおこり
たちまちに願いがかなうと言う成就庵の評判を歌った古歌に
「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」
という詠がある。成就庵は戸越八幡神社の起源となった草庵である。ここに詠まれているようにこの地は江戸越えの村ということで、「江戸越」(えどごえ)がやがて「戸越」という地名になりそれが現在の地名になっているといわれている(wikipedia)。
◆
閑静な住宅街の中に鎮座し、なかなか雰囲気がある佇まいであった。
拝殿
◆
雰囲気が良い参道。
◆
夏越しの祓えの茅の輪が設置されているような時期であった。
狛犬さん 和み系だ。
狛犬さん こちらは面白系かな。
拝殿前の門が素敵。
◆
参拝客グループや地元の人と思われる方々で、かなり賑わっていた。
◆
当神社は大永6年(1526年)に行永法師という諸国を行脚していた僧が、村内の藪清水池水源地に誉田別命(応神天皇、八幡神)の神体が出現したのを見つけたので、草庵を作りまたそこに京都・石清水八幡宮から分霊を勧請して共に祀ったのが始まりであるといわれている。人々が祈願するとたちまちにかなうといわれていたので、成就庵と呼ばれた。その後文禄元年(1593年)に、近隣にある別当寺だった行慶寺の開山・念誉によって成就庵のところに八幡神社を建立してご神体を阿弥陀如来と共に祀ったといわれている。その後、元禄元年に現在地に移転された。別当は明治時代に神仏分離令により廃止された。社殿は200年ほど前に建立されたもので、安政2年(1855年)に改築されたものである。現在でも地元の人々から信仰を得ている。
戸越の名のおこり
たちまちに願いがかなうと言う成就庵の評判を歌った古歌に
「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」
という詠がある。成就庵は戸越八幡神社の起源となった草庵である。ここに詠まれているようにこの地は江戸越えの村ということで、「江戸越」(えどごえ)がやがて「戸越」という地名になりそれが現在の地名になっているといわれている(wikipedia)。
◆
閑静な住宅街の中に鎮座し、なかなか雰囲気がある佇まいであった。
拝殿
◆
雰囲気が良い参道。
◆
夏越しの祓えの茅の輪が設置されているような時期であった。
狛犬さん 和み系だ。
狛犬さん こちらは面白系かな。
拝殿前の門が素敵。
◆
参拝客グループや地元の人と思われる方々で、かなり賑わっていた。
コメント
コメントを投稿