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調布散策2

10月上旬頃、ALFEEさんの府中でのコンサートへ行く前に、深大寺でお参りした後、近くに鎮座している青渭(あおい)神社でお参りした。





東京都調布市深大寺元町5-17-10にある。旧社格は郷社。 創建年代は不詳であるが、古くから深大寺町の総鎮守として信仰を集めた。かつては五町歩あまりの社地があった。社地内には大池があって湧き水が湧き、青波をたたえていたことから、青波天神社とも称された。 祭神の青渭大神は青沼馬沼押比売神とされるが、大池に棲む大蛇を祀ったともいわれる。いずれにせよ水神であるとみてさしつかえない(Wikipedia)。



拝殿




鳥居

額束 凝ったデザインだけど、神社名はよく見えない。



狛犬さん どちらも子供を抱えている。可愛い。







青渭神社のケヤキ(あおいじんじゃのケヤキ)は、東京都調布市深大寺元町五丁目の青渭神社境内に生育するケヤキの巨木である。『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』に取り上げられるほど、古くから知られた木である。調布市内で随一の巨木であり、1972年(昭和47年)に市の天然記念物に指定されている(Wikipedia)。




大き目の公園に、ぽつんと鎮座している感じであった。



バスで調布駅に戻る道中、車中から見えた布多天神社でお参りした。


布多天神社(ふだてんじんしゃ)は東京都調布市調布ヶ丘1丁目に鎮座する神社である。式内社。旧社格は郷社。天神社。 この神社は布田五宿の総鎮守であり五宿天神の別名がある。 創建年代は不明。社伝ではおよそ1940年前の垂仁天皇の御代の創建とされる。平安時代初頭の延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳の武蔵国多磨郡に記述がある式内古社である。 元の社殿は現在の布田5丁目にあったが、文明年間に多摩川が大氾濫を起こしたことをきっかけとし、文明9年(1477)に現在地に遷座し、菅原道真公を合祀した。
室町時代の天正18年(1590)年4月に豊臣秀吉が小田原の北条を攻略する際に人々を安堵させるために出した「太閤の制札」が神社所蔵として残る。 かつての社殿地には古天神公園と名付けられた公園が整備されている。この旧社地は昭和55年の発掘調査によって約1万年前の旧石器時代や、約4~5千年前の縄文時代の生活跡、約1千5百年前の墓などが発見された。 布田五宿村は、明治22年(1889年)に飛田給村、上ヶ給村と合併して調布町となり、調布町総鎮守となった。 当初は少彦名神を祭神としていたが、移転時に菅原道真公を合祀。 延喜式に布多天神社の名があることから、菅原道真公を祀る以前から天神社と呼ばれている神社のひとつである。 少彦名神を主祭神とする神社が天神社と呼ばれる例は各地にある(Wikipedia)。



商店街の入口に社号標が立っている。この道には、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターがあちこちにいる。



鳥居 緑溢れる入口が見えた瞬間、テンションが上がる。


牛さん

狛犬さん 年季が入っているが愛嬌がある。


拝殿 落ち着いた佇まいだ。


境内社



素敵な空間であった。




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