6月上旬、茨城県に鎮座する鹿島神宮でお参りした。
南浦和駅6:57武蔵野線で出発→新松戸駅で常磐線に乗換7:35取手行→我孫子駅で常磐成田線に乗換7:54成田行→成田駅成田線に乗換8:40銚子行、ローカル色濃く扉が一箇所しか開かないとか。佐原駅鹿島線に乗換9:17鹿島神宮行、鹿島神宮駅9:38着。
鹿島線。
坂を上がる。
途中、神社があったり、
10分くらい歩いて到着。
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鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。
鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます(説明は全て公式サイトより)。
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楼門は改修中。知ってて行ったので、仕方ないね。2026年に改修完了する予定だそう。12年に一度の午年の例祭には完成するのかな。再び訪ねてみたいが、混みそうだなー。
茅の輪が設置されていた。久し振りにルール通りにしっかりぐるぐる回った。
改修が完了した拝殿。なんとも厳かな雰囲気が漂うけど、目の前近くに鳥居があったり、門をくぐった位置から正面を向いていなかったり、不思議な感じもする。
要石。地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。
本物の鹿さんたち。
戻ってきて拝殿を再び正面から拝む。
本殿。
イメージしていたよりもぐっと落ち着いた雰囲気だった。楼門が工事中だったこともあるかな。心、静まりました。
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鹿島の英雄?塚原卜伝像。
鹿島神宮駅11:23佐原行、香取駅で乗換11:46成田行に乗って、成田を目指す。
車中から見えた、確か「北浦」と書いてあったような気がする。早速検索すると、
霞ヶ浦の特徴:私たちが霞ヶ浦とよんでいる湖は,霞ヶ浦(西浦),北浦,常陸利根川(ひたちとねがわ)を全部ふくめた湖のことです。との事。
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