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賀茂別雷神社

2021年3月下旬頃、タローさんが出会い橋の桜を見たいと言い、日帰りで京都へ行った。2年前にも行ったけどね。緊急事態宣言下ではなかったが、感想をアップするのは自粛していた。自分の記録の為にまとめた。季節外れのお花見写真。


出会い橋の桜。何度見ても素敵だ☆







京都はこじんまりとした店が多く、密にならないように広い店を探すことが難しい。とりあえず、即、入店出来たお寿司屋さんで「炙り丼」を食した。美味しかったー(^.^)さくっと食して、速攻退店。



 

続いて、北山駅から賀茂川沿いを歩いて上賀茂神社を目指す。やっぱり、河川と桜の相性は抜群だ。本当に素敵だったが、なかなかうまく撮影出来ず。






辿り着いたら、絶賛工事中。。仕方ない。






こんなにたくさんの摂社・末社が・・。時間がなくてゆっくりお参り出来ず。

細殿(拝殿)
立砂(たてずな)細殿前の円錐状の2つの砂の山。神体である神山(こうやま)を模したもの。鬼門にまく清めの砂の起源とされる(Wikipedia)。



楼門



お参りは中門前で行うようだが、この行列。時間がなかったので、遠くから手をあわせた。


賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。御祭神は賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)。創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。明治の近代社格制度でも伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた(Wikipedia)。

御朱印授与所はすいていたので、記念に御朱印をいただいた。




京都駅で入手したお土産。上賀茂神社の近くで売っているものらしくてね。さっぱりとして美味でした。


東京から乗った新幹線はほぼ満席。移動している人は意外とたくさんいるものだ。きっとまた、タローさんが2年後くらいに「出会い橋に行きたい」と言うだろうから、また行けることを楽しみにしている。


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