長野旅1/3の続き。コンサート会場へ向かって歩いていると、目の前に神社が見えてきたので、お参りした。
深志神社(ふかしじんじゃ)は、長野県松本市深志にある神社である。諏訪明神(建御名方命)と菅原道真(天神)を主祭神とする。社伝によれば、諏訪明神(建御名方命)の夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮(宮村大明神)と称していた。応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮(天神)を勧請した。永正元年(1504年)、小笠原氏の家臣が深志城(松本城)を築城すると、当社を城の鎮守・産土神として崇敬し、社殿を西面に改めた。天文2年(1533年)、小笠原長時は武田信玄に敗れ、信濃が武田氏の支配下に入ると当社は荒廃した。天正10年(1582年)、小笠原氏が信濃に復帰して社殿を修造し、深志城の南方の鎌田村に小笠原氏によって勧請され創建されていた天満宮(鎌田天神)の分霊を、宮村宮の北の新宮に奉遷した。
本来は建御名方命の方が主祭神であるが、天満宮の方が有名となり、深志天神・天神様と呼ばれるようになった。江戸時代も松本藩累代藩主の崇敬を受け、松本城下の南半分の商人町の総氏神ともなった。天保12年(1841年)、京都の神道家吉田家の許可を受けて宮村宮から現社名に改称した。昭和3年に県社に列格した。wikipedia
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深志神社(ふかしじんじゃ)でお参りした。
拝殿。美しい神社だ。
光る~☆
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こちらでおみくじをひいた。
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その後、ALFEEさんのコンサートへ参加した話は、コンサートレポとしてアップ済みだ。20:50頃、コンサート終了、歩いてホテルへ帰った。21:20頃着。夕食はコンビニごはん。3日前迄、入院していたと思えないくらい、よく活動した↑↑
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2日目。6:30 ホテル朝食。朝食付きであった。病院ごはんのような色味だ。7:00 チェックアウト。
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7:21松本発 JR篠ノ井線に乗って、上諏訪へ。
8:04 上諏訪駅から 「かりんちゃんバス すわライナー」に乗って諏訪大社を目指した。
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諏訪大社とは:
長野県中央の諏訪湖を挟んで、次の二社四宮が鎮座する。
上社(かみしゃ):本宮(ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山)、前宮(まえみや)(長野県茅野市宮川)
下社(しもしゃ):秋宮(あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居)、春宮(はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)
上社は諏訪湖の南岸、下社は北岸に位置し遠く離れている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。創建年代は不明だが、日本最古の神社の1つとされるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が建てられているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。
建御名方神(たけみなかたのかみ)上社本宮祭神。『古事記』の国譲りの段では、大国主神の御子神として登場する。『先代旧事本紀』では大己貴神(大国主神)と沼河比売(奴奈川姫)の子とされ、「信濃国諏方郡諏方神社に鎮座す」と明示されている。八坂刀売神(やさかとめのかみ)上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃とされるが、記紀に記載はない。wikipedia
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