2025年4月上旬、 京都へ旅したはなし。
もうかなり時間が過ぎたけど、自分用簡単メモ更新。ひかりに乗ってスタート🚄
朝食は天むす弁当。
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東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある、東寺真言宗総本山の日本の仏教寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。創建由来は、平安京鎮護のための朝廷の官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。このため国宝や重要文化財を含む文化財が多数残る。明治維新まで、東寺の長官である4人の東寺長者は真言宗の最高位であり、中でも長者の筆頭である東寺一長者は律令制における仏教界の首座である法務も兼任する慣例だった。
五重塔
国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海による創建に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置する。真言密教の中心尊であり金剛界五仏の中尊でもある大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしている。諸仏は寛永20年(1643年)から翌年にかけての作で、江戸時代初期の作風を伝える。初重内部は通常非公開だが、特別に公開される場合もある。北にある池は瓢箪池といい、五重塔とともに池泉回遊式庭園の要素になっている。Wikipedia
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駅に戻る途中で見かけたレトロなパン屋さん。美味しそうに見えるんだな。実際、美味でした。
昼食は、駅近くにあった食堂。昼飲みする地元の方々でいっぱいだ。「さばの塩焼き定食」。普通に美味しかった♪
この店でオーダーしようとしていた外国人が若いウェイトレスに「とんかつはチキンなのか?」と質問したようで、ウェイトレスが「店長!!とんかつって、チキンですかー!?!?」と大声で叫んでいた。笑
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電車で移動して二条城へ。中に入ったのは中学校の修学旅行以来かなー。ほとんど記憶にないけど、ついつい廊下を踏みしめてしまう。撮影はNGだった。中に入っていたのは、9割くらい、外国人かな?
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二条城(にじょうじょう)は、京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある日本の城。江戸時代の徳川将軍家の平城であり近代においては皇室の離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である。京都市街の中にある平城で、足利氏・織田氏・豊臣氏による二条城もあったが(旧二条城跡について)、現存するものは徳川宗家の城のみである。当城は京都御所の裏鬼門に位置する。徳川家康が都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川幕府の武威を示すため京都御所・公家町(現:京都御苑および冷泉家一帯)および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城である。
二条城では徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀、江戸幕府による禁中並公家諸法度の公布、後水尾天皇の行幸、幕末期は徳川慶喜の居城となり大政奉還の上奏、離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀など徳川幕府の始まりと終わりをはじめ日本の歴史を見届けてきた歴史的に重要な場所である。 明治維新により徳川将軍家から接収された二条城は、1884年に皇室の「二条離宮」へ変遷した。その後、1939年(昭和14年)二条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城と改称、そして現在に至る。Wikipedia
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夕食をとる為、四条河原町へ。新京極、懐かしい。修学旅行で買い物をした。
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