2022年7月16~18日に、島根、鳥取へ行って来た。自分用、その行先概要と写真の整理を兼ねて、簡単にまとめた。
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羽田空港から出雲へ出発。昨夏旅した松山へは格安航空利用で成田から出発したが、島根には格安航空が飛んでいないようでね。
座席足元には、USBポートがあり、スマホを充電できる。
約1時間半で、出雲縁結び空港へ到着。
徹底した縁結び推し。
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高速バスに乗り、約1時間でJR松江駅に到着。道中、景色はほぼ真っ暗。おそらくずっと宍道湖沿いを走っていたから?
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夜遅く着いたので、夕食は宿泊したホテル1階にある居酒屋にて。名物のどぐろのお刺身をいきなり食せた。美味だねぇ。とろみがある甘い醤油がこちらの定番のようだけど、お刺身には合わないような気がした。慣れかな。
色々アレンジつくね。
これは焼いて食べるお通し。左側の島根名物・赤天は、度々食した。赤い色のさつま揚げみたいな感じ。
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島根2日目。朝食は、ホテルにてバイキングだ。コロナ禍で、食べ放題バイキングみたいなのは、絶滅したのかと思ったけど、復活したのね☆片手分だけ、使い捨てビニール手袋を渡されて、それをはめて使ってねと言う感じ。タローさんは、何故か利き手ではない方にはめていたけどね。わたくしのしょぼい朝食↓。昨年あたりから胃腸が弱くなり、朝からドカ食い不可になったので、野菜類を中心にちょぼちょぼ食す。実際バイキングは、バリエーション豊富なラインナップで、夜にもう一度夕飯として食べたいくらいであった。
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食後に、宍道湖(しんじこ)まで散歩した。ホテルから10分くらい。曇っていたけど、駅から程近くに、これだけの水辺が広がっているとは!気持ちが良い。
『宍道湖(しんじこ)は、島根県松江市と出雲市にまたがる湖。一級水系の斐伊川の一部である。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。日本百景。主に大橋川・中海・境水道を介して日本海と接続し、淡水湖ではなく汽水湖となっている(平均塩分濃度は海水の約1/10である)(Wikipedia)』。
有名な夕陽を見る事が出来なかったのは残念であった。
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その後、Google Mapにて’神社’検索をして、見つけた神社でお参りをした。まずは、宍道湖から徒歩5分くらいに鎮座する白潟天満宮(しらかた)をお参りして、スタート。
『島根県立美術館から天神川を渡って東に進むと見えてくる、学問の神様として有名な菅原道真公を祀る神社です。富田城内(現安来市)に長く祀られていましたが、松江城を築城した堀尾吉晴がここ「白潟」の地に奉遷しました。それ以降、歴代松江藩主の尊崇を受け、庶民の間でも学問の神様として広く知られるようになり、現在は松江市民から、「天神さん」と呼ばれ、親しまれています。小泉八雲の代表作「神々の国の首都」にも登場しています。毎年7月24日・25日には、夏まつりが開催され、御輿や多くの露店で賑わいます(松江観光ステーション)。』
お祭りは、翌週であった。
元気な狛犬さん。
本殿も渋い。
境内社。
おかげ天神 菅公御幼少時の神像に奉斎 「ぼけ封じ」で知られる
厳島神社 藩主お抱えの名工 小林如泥の作と伝える名建築に奉斎
稲荷神社 敢えて北向きに奉斎 霊験あらたかと言われる
荒神社 榎の木に奉斎
児守神社 亀の背に奉斎 子供の守護神(公式サイト)。
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更に、7,8分くらい歩いて、出世稲荷神社でお参りした。
『出世稲荷神社は、松江の領主が代々信仰した神社で、12世紀まで歴史を遡ることができます。 元は今の松江城のある亀田山、大昔は末次山と言っていましたが、その地にありました。末次の地を開拓するにあたり、農耕の守護神をお祀りしたのが始まりとされ、里人が信仰していました。鎌倉時代に入り、松江の里(末次の里)を地頭として支配した土屋六郎をはじめ、末次城主となった末次五郎清政や松江城を築城した堀尾吉晴、さらには江戸期に入ってからの松江城主、松平家に至るまで、代々この地を治めた人々も信仰していました。堀尾吉晴公が松江城を築城した際、当社は松江の守護神として、藩の細工所の敷地(現在の県民会館のエリア)の中に、新しくお宮を造営してお祀りしました。後を継いだ松平家の代々の殿様も同様にお祀りし、藩費にて神社の費用を賄っていました。
明治の廃藩に伴い、土地が民有地になったことなどから、明治21年に現在の場所の寺町にお宮を遷しました。 当社は、「松江三大稲荷」に挙げられ、大変御利益があるということで広く知られ、開運招福、商売繁盛、病気平癒、厄除けなどを願う人々の信仰を集め、多くの方々が参詣になっています。また、開運出世に特に御利益があるということから、いつの頃からか「出世稲荷神社」という呼び名となり、合格成就を願う人々が多くお参りしてきました。 また、以前はこの地に「八百屋畠」があったことから、「八百屋畠のお稲荷さん」という愛称も持っていました。かつては、社殿をはじめ、諸施設の造営あるいは改修により、松江でも1、2を争う施設を有していましたが、昭和24年の松江白潟大火で罹災し、社殿、諸施設のすべてを失いました。戦後間もなくの時期で本格的な復興もままならず、都市計画による境内地の道路への収用もあり、未完成のままで長い年月を過ごしました。
平成に入ってから、本格的な社殿造営、境内整備に着手し、平成9年秋の新社殿の造営、境内の美化整備を経て、わずかでも旧に復することがかないました。これは一重に広大無辺なご神威の賜物であると思われます。
祭神
日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、日本文化と日本人の心を全世界に紹介した、『知られざる日本の面影』『怪談(耳なし芳一、雪女など)』の著者・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、出雲地方に不思議な魅力を感じ、「神々の国の首都」と記しましたが、当社のご祭神もその神々の列にあって、懸命に生きる人たちの切実な願いをお聞き届けになっています。ご参拝になり、大神様と縁を結んでいただき、幸せを手にされますよう由緒の概略に合わせてご案内いたします。主祭神は、豊饒と商売・営業繁栄の神様「宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)」と、文武の神様として武士が崇拝した「誉田別命(ほむだわけのみこと)」です。また、合祀祭神として祀られている武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)はともに刀剣の神とされています。さらに、病気平癒の神様、大床主神(おほとこぬしのかみ)、水運・海運の神様、水波女大神(みずはめのかみ)を本殿にお祀りしています。
武甕槌神と経津主神は、松江藩校修道館鎮守のご祭神でしたが、明治維新の政変による修道館の廃止に伴い、同じ敷地内の細工所にあった稲荷神社に合殿となり、寺町への移転に際し、主祭神と一緒に遷して、本殿に合祀されました。大床主神と水波女大神は、白潟本町の森脇邸にあった地主神社のご祭神でしたが、町の依頼により当社に合祀されました。(公式サイト)』。
大きな玉を抱えた狛犬さん。
手水舎。可愛い。
拝殿。
こちらの本殿も渋い。
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更に、数分歩いて売布神社(めふじんじゃ)でお参りした。
『売布神社(めふじんじゃ)は、島根県松江市に鎮座する神社。式内社で旧社格は県社。出雲國神仏霊場第六番。祭神は、速秋津比売神を主祭神とし、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を相殿として祀る。『出雲国風土記』に「賣布社」(めふのやしろ)、『延喜式』に「賣布神社」(めふのかみやしろ)として見える。元は意宇の入海(宍道湖)西岸に鎮座していたといわれ、潮流や地形変動に伴い東へ遷座を重ね、13世紀頃に現在地で祀られるようになった。白潟大明神・橋姫大明神と称した時期もある(Wikipedia)。』
元気な狛犬さん。
拝殿。静かでいい雰囲気。
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