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推し、燃ゆ

 第164回芥川龍之介賞に宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』が選ばれた。昨晩、一気読みした(以下、内容に触れています)。

推しを推す――好きな人や物を応援するという意味だ。アイドルユニットの中の「一推しのメンバー」が「推しメン」と略され、さらに「推し」だけで使われるようになった。そこから人だけでなく、キャラクターやスポーツのチーム、創作物など幅広いジャンルに広がった言葉である。

あらすじ:主人公のあかりは生きづらさを抱えた高校生。家庭にも学校にも馴染めず、他人が難なくできることも巧くこなせない。「病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた」あかりだったが、アイドルグループ「まざま座」のメンバー上野真幸を推し始めてからは「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」になり、それが自分の「背骨」と感じるようになる。推し仲間とコミュニケーションを取り、CDの費用を稼ぐために苦手な接客バイトを懸命にこなす。だがそんなある日、推しがファンを殴って「炎上」してしまう――(好書好日より抜粋)。

わたくしも小学生の頃から、立派なおばさんになった今の今まで、「誰かのファン」で、レコードやCD、掲載されている雑誌を買い、出演しているテレビ番組をチェックし、コンサートへ行ったりする事を楽しみにしているので、ちょっと興味があって読んでみた。

「誰かのファン」みたいな軽い感じではない。主人公の「推しを推す」生活はとにかく重い・・。読む事ツラくなるほどだが、比喩が独特だったり、結末はどうなるのか気になるので一気に読めたが。印象に残ったフレーズを書き起こしたらきりがない感じだが、少しだけ抜粋してみた。

姉に「(推しメンを)なんで好きなの?」と聞かれた時に、

愚問だった。理由なんかあるはずがない。存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。

推しメンが引退を発表した時に、

とにかくあたしは身を削って注ぎ込むしかない、と思った。推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。最後のライブは今あたしが持っているすべてをささげようと決めた。



重たい・・。信仰に近いのかな。ふと現実と向き合った終わり方も切ない。

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