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5月, 2019の投稿を表示しています

白いあじさい

5月が無事終了。月末仕事で修行かのように働いた。毎月の事だけど。疲 芝公園では、紫陽花が咲いていた。白いのとか。山あじさいかな。

バランスボール

バランスボールを入手した。椅子に座っているより、姿勢が整う気がする。今もこれに座って入力している。 もう一回り大きいのでも良かったかな。意外と安かったので大きいサイズも買ってみようかな。

ブエノチキン

この季節はいつもの事だが、仕事が無い日は草むしり・枝切りばかりしている。ここ10年位毎年、ゴーヤの栽培をしていたが今年は止めた。たまに止めてみるのも良いかなと。

オーラ

タローさんが、ドラマ撮影中の田中圭を見かけたそうだ。テレビでの印象よりもずっと恰好良くてびっくりしたと話していた。オーラが凄いって。

あっつ

昨日は、ALFEEさんのコンサートへ参加し、なんだかんだで午前2時頃に眠った(ような気がする)。今朝は、9時30分頃から町内清掃に参加する予定だったのに、ハッと目覚めたら9時20分だった(*_*) マズい。

南区散策3

金刀比羅大鷲神社から更に10分位歩いて、横浜市中区羽衣町に鎮座する厳島神社でお参りした。南区から中区へ。 元来は洲干島(しゅうかんじま)とも呼ばれる入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称した。 創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられる。 足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つ(「洲干雪」)にも数えられるほどの景勝地であった。 また境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。敷地は南は太田町5丁目、北は南仲通5丁目、東は弁天通5丁目、西は海岸で寄州になっており、1万2千坪という広々とした場所であった。今の神奈川県立歴史博物館(横浜正金銀行本店跡)のあたりに一の鳥居があった。鳥居は四の鳥居まで存在していたとされる。開港後、門前が弁天通として整備された。秀閑寺という別当寺を有したが廃絶、慶安年間以降は元町1丁目の増徳院が別当になった。元禄年中この元町の増徳院境内に仮殿を造営し、上之宮杉山弁天と唱え、平日はご神体をここに奉安して置き、本社には前立のご神体のみを置いて下之宮清水弁天と呼んだ。1869年に街区拡張のため、現在地の羽衣町に移転して厳島神社と改称。主祭神は、市杵島姫尊、多紀理姫尊、多岐都姫尊(もとは弁才天)(wikipedia)。 入口 拝殿 民家のようだ。 オープンだ。 ◆ 境内社 銭洗弁天社 ◆ 豊受稲荷大明神 JR関内駅を目指して歩いていたら、大きな鳥居を発見した。こちらが入口だった。 気持ちの良い川沿いや公園を歩いたり、歓楽街を通過したりと、神社巡りはやっぱり楽しい。

南区散策2

日枝神社から15分位歩いて、横浜市南区真金町に鎮座する金刀比羅大鷲神社でお参りした。横浜橋商店街の脇道を抜けた所だ。最寄り駅は地下鉄阪東橋。関内駅からもそれほど遠くないのに、全く知らなかった辺りだなと思って歩いていたが、遊郭等の地域なんだ。 金刀比羅神社 ◎祭神 大物主之命・崇徳天皇 安政6年(1859)6月2日横浜が開港するにあたり、港崎遊郭(みよざきくるわ:現在の横浜公園)の地に金刀比羅社を祀って守護神として商売繁盛を招来するよう、岩亀楼主・佐藤佐吉は讃岐の象頭山(四国琴平町)から金毘羅大権現を勧請して祭祀しました。慶応2年(1866)10月20日の大火後、明治5年末30余軒が高島町へ移転し、金刀比羅社も同年高島町7丁目の海側にご鎮座、金刀比羅神社と改称、この時大鷲神社も祭祀し東京の浅草に倣って酉の市が行われるようになりました。明治6年3月無格社として神社明細帳に登録され、明治15年真金町・永楽町の廓内地割当て着手。「横浜吉原」としてこの地が完成し移転を終了したのは明治21年7月でありましたが同社は高島町遊郭の移転期限が来ると明治15年4月、現在の真金町に遷座しました。大正12年の大震災で社殿焼失、また昭和20年5月29日の大空襲に大火し昭和25年建立。更に地元有志・崇敬者により昭和63年8月吉日再建され今に至ります。 大鷲神社 ◎祭神 天之鳥船命 ・例祭:11月酉の日。当社は明治5年高島町に金刀比羅神社が遷座された頃から江戸吉原の例に倣って「おとり様」を勧請。同社の境内に末社として祀りこれが大鷲神社の初めであります。もとの社殿は別宮としてありましたが、今は金刀比羅神社の相殿に祀られております。 稲荷神社 ◎宇迦魂命 ・例祭:2月午の日 五穀を司り稲成り、稲荷であって万民の食物の調理を導き万物を利し、京都伏見稲荷大社の御分霊を祀る家業繁昌、心願成就、五穀豊穣の御神徳あり。更に万物生成に霊験顕著なるものとして全国至るところに多くの稲荷信仰があります。当社由緒書より抜粋(公式サイト) 拝殿の写真撮影を忘れた。 小顔で爪(?)がしっかりした狛犬さんだ。 境内社 お稲荷さん すし塚 南区散策3へ続く。。

春ドラマ 棒

・フジ火21 パーフェクトワールド 5話 あの頃に戻りたいと言った最後のシーンは泣けた。あのヘルパーは気持ち悪いな。お通じの件とか、看護師が把握しているのでは?

南区散策1

3月上旬頃、横浜の実家へ行った帰り道、京急井土ヶ谷駅で下車して、桜木町まで散策した。最初に住吉神社でお参りした。京急井土ヶ谷駅から徒歩10分位だった。弘明寺駅から歩いても良かったかな。 ◆ 創立年代は不詳であるが明治初年神仏分離の際境内を区画して乗蓮寺と分離し村社に列せられた。明治17年9月の暴風に社殿崩潰したが同19年復興した。昭和5年不慮の火災により社殿を焼失し仮社殿で奉仕していたが昭和44年に至って氏子崇敬者一同の熱誠を結集した新社殿、鳥居、手水舎、境内社、神楽殿、社務所、神輿庫等一切を完備竣工するに至った(神奈川県神社庁)。 ・住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后 ~お祓い・海・更正、清めの神~住吉神社の主祭神である住吉大神(すみよしのおおかみ)は別名「住吉三神」ともいい、「底筒男命・中筒男命・表筒男命」の三神であり、また三韓征伐の際、住吉大神を信仰した神功皇后も含めて住吉大神といいます(公式サイト)。 真新しいと言う感じの雰囲気だ。 狛犬さん 境内社 ◆ その後、日枝神社を目指して歩いていたら見かけた堰神社。 吉田新田の用水堰の守神として、水速女神(みずはやめのかみ)が祀られたほか、現在では道祖社、長者稲荷社、庚神社が合祀されています「せき」の読みから、咳の病に霊験あらたかと云われ、いつしか咳の神様と信仰されるようになりました(公式サイト)。 ◆ 30分位歩いて、 お三の宮日枝神社でお参りした。 お三の宮日枝神社 吉野町駅から徒歩数分。現在の横浜市の中心部、中区と南区に亘る大岡川と中村川、それからJR京浜東北・根岸線からお三の宮所在地まで(関外地区)広い範囲は、釣鐘の形をした入海でしたが、今からおよそ三五〇年前に、江戸幕府並びに諸大名の御用達として広く石材木材商を営んでいた吉田勘兵衛良信という商人が、この入海を埋立て新田を築きました。(=吉田新田)この大工事は、明暦二年七月十七日に鍬入れをしましたが、翌年の五月十日より十三日に亘る集中豪雨の為に失敗に終わります。しかし、万治二年二月十一日に再度試みて、寛文七年、十一年余りの歳月と八千三十八両の巨費により、市内最古で最大規模(およそ三十五万坪)を誇る新田開発を成し遂

葛飾八幡宮

4月15日、市川でもアルコンへ行く前に 葛飾八幡宮でお参りした。JR本八幡駅から文化会館とは反対側に歩いて10分くらいかな。 葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年〜898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。毎年9月15日のご例祭日より20日まで、広大な境内で催される農具市(通称ぼろ市)の盛況さは、かつて関東三大農具市のひとつに数えられるほどでした。また、33年毎に斎行される大きな祭り、「三十三周年式年大祭」があります(説明は全て公式サイト)。 ◆ 最初の鳥居をくぐり、少し歩くと踏切がある。 随神門 - 神仏分離以前は別当法漸寺の仁王門であった。市川市指定有形文化財。 行き道での撮影を忘れ、帰り道の写真。花も美しい。 次の門。 拝殿 何となくお寺のような雰囲気が漂う、ぐっと気分が引き締まる空間であった。 ◆ 元亨の梵鐘(県指定有形文化財)この梵鐘は寛政5年(1793)正月19日、境内のケヤキの大樹が暴風で倒れた際、その株根から出土したと伝えられています。 ◆ これまで多くのご神木を拝んで来たが、このイチョウの迫力は凄かった。触れられないのは残念だけど。 千本イチョウ(国指定天然記念物)ご神木の国指定天然記念物「千本公孫樹」(せんぼんいちょう)は、推定樹齢1200年といわれる巨木で、その姿は『江戸名所図会』にも記録されています。多くの幹が寄り添って支え合う姿をしていることから、縁結びの御神徳があると伝えられています。また乳の出ない婦人が乳房の形をした公孫樹の瘤(こぶ)を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えから、育児守護の信仰があります。千本公孫樹はまさにこの地に暮らす氏子の成長を見守り続けた木の長老、我が郷土の誇るべきご神木です。また、古来千本公孫樹には白蛇が棲むといわれ、その姿を見